◎石叫■          「神の答えは“ノー”」

今回引用するものは、サウスベイ教会の安藤秀世先生のブログに出ていたものだ。先週、礼拝の司会に当った
瀬戸一典兄がそれを紹介してくれた。

「神様、私の悪い習慣を取り除いて下さい。」
神の答えは「ノー」、「私が取り除くのではない、あなたがその習慣をあきらめなさい。」と言われる。
「神様、私の障害を持つ子供を完全な身体にしてください。」
神の答は「ノー」、「あの子の心は完全だよ。身体はこの世でのほんの一時的なものだよ。」
「神様、私に忍耐する力を与えて下さい。」
神の答は「ノー」、「忍耐は試練についてくるもの、与えられるものではなく、学ぶものなのです。」
「神様、私に幸せを下さい。」
神の答は「ノー」、「わたしは、あなたを祝福している。幸せになるのは、あなた次第です。」
「神様、私に苦しみを与えないで下さい。」
神の答は「ノー」、「苦しみは、この世の思いから貴方を一時離して、私に近づけるためなのです。」
「神様、霊的に成長させて下さい。」
神の答は「ノー」、「私は、御霊の実がなるように、 貴方を刈り込むから、成長するのは貴方です。」
「神様、人生を楽しむ事ができるようにして下さい。」
神の答は「ノー」、「私が与えた人生を楽しむのは、貴方自身でしょう。」
「神様、あなたが私を愛して下さるように、他の人を愛することが出来るように助けて下さい。」
神は、「ああー、やっとあなたは、わたしが分かったようだね。」と言われた。

悪い習慣や苦しみ等は、全てそれらを神の責任として押し付けてしまい易い。逆に祝福や楽しみにしても、
それらが足りないのは、神のせいにし易い。でも神は言われる、「わたしの恵みはあなたに対して十分である」
(第二コリント十二章)と。実は有り余るほどの神の祝福を制限しているのは私達なのである。
要は私達がそれらの神の宝をどう受け取めるかに懸かっている。