◎石叫■           「ソクラテス」

 「偉人はかく教える」という書にあったものだが、ソクラテスのことについて書いてある。人は暴行を受けた時に、
誰しもがそれに対して仕返しをするように考え、あるいはそのように実行するものだが、哲学の祖、ソクラテスの
心構えはさすがに違っていた。彼はその世界においても超然としていたのである。以下は、人生を極めた者の
態度である。

ソクラテスは世界の四大聖人の一人と呼ばれるほどの人物であるが、その弟子のゼノフォンの評したように、
「敬神の人、正義の人、克己の人、聡明の人、人類中の最も善良にして、最も幸福なる人」であった。彼がある日、
アテネの市中を歩いていた時に、突然後から大きな棒をもって、その背中を叩いた者があった。ところが彼は
平然として、何事も無かったように、そこを通り過ぎて行った。かえって、周りで見ていた人が、歯噛みしてその
暴行を憤り、彼にむかって言ったのだった、

「あんたはなぜあいつを叩き返してやらないのかい」

彼は笑ってこれに答えた、

「ロバがあんたを蹴ったとしたら、あんたは蹴返すかい?」

相手を見て対応せよとソクラテスは言いたかったのであろう。もし相手が話しの判る人物であるなら、それなりの
対応をしたことであろう。でも、話しの通じない相手に同じような暴行をもって仕返しをしたところで、却って
相手の図に乗ることになり、何の足しにもならないことを彼は知っていたのである。
さすがに知恵者ソクラテスの人となりである。

さて、主イエスはその愛の対象である人間を知りつくしていた。その主が人類の罪を背負って十字架にその命を
捨てたのは、いくら愛と理性でもって対応したところで判ってはくれない人類の心の目を開くためであった。
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ二三章)と叫ばれた
ように、人類の中で、ただの一人たりとも話して分かる人物はいなかったのである。だから主は、自分を殺す者に
対しても超然としていることが出来たばかりか、その尊い神の一人子の命を投げ出し、その命の限り、あなたの
すべてを愛することが出来たのである。