◎石叫■           「桶狭間」

山下博康の「男の人間学」(中経出版・二〇〇七年)に、桶狭間での戦いの様子がこと細かに記されている。
それを今回はご紹介しよう。

「今川義元は駿河、三河などの大軍二万五千を率いて、織田信長の拠点を次々と攻略してくる。迎え撃つ織田軍は
今川軍の約十分の一しかない。ところが奇襲によって織田軍は多勢の今川軍を桶狭間において打ち破ったのである。
その論功行賞の逸話のくだりである。桶狭間の戦いは一五六〇年五月十九日の午後一時ごろに始まり、午後五時には
決着がついた。さっそく恩賞が授与されることになった。まず一番に、信長から声高らかに誉められたのは
毛利新介である。彼は敵将・今川義元の首級を射止めた。賞金五〇〇貫(四千万円相当)が贈与された。次に義元を
追い詰め、脇腹に一刺し、一番槍を突いた服部小平太の名が呼ばれた。かたずを呑んで見守る武将たちは、小平太は
勲功の二番手であるから、おそらく新介の半分以下くらいかと見積もっていたところが、度肝を抜かれた。なんと
倍額の一〇〇〇貫をもらったのである。驚くことはまだ続いた。信長が簗田(やなだ)政綱の名を呼び、彼に賞金
三〇〇〇貫を与えたのだ。居並ぶ武将たちは、互いに驚愕の顔を見交わした後、一様にあからさまに疑問の表情を
浮かべた。そもそも、簗田という人物は何者で、この戦で何をしたのか?府に落ちない武将たちに、信長は説明した。
自分がこの戦についての最終的な決断を下したのは、簗田の情報あってこそである。簗田は、今川義元が桶狭間にいる
という情報をもたらした。簗田に法外ともいえる恩賞を与えた背景には、信長の先見性がある。信長はこれからの
時代は情報を制した者が戦を制することを見抜いていた」。

 主イエスは十字架上で私たちの一切の罪を背負って死なれた訳だが、その十字架での身代わりの死を信じる者に、
主はその論功行賞として私たちに永遠の命をお与え下さったのである。それは具体的に何を意味しているのかと
言えば、私たちが受ける栄光であり、朽ちない体のことである。

ピリピ三章には、「彼は万物を従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光の体と、
同じかたちに変えて下さるであろう」とある。栄光のからだを与えられた私たちは永遠に生きるのである。信長の
行賞は人もうらやむほどのものだが、でも朽ちない栄光のからだは、永遠に続く栄光である。
これに優る論功行賞はない。