石叫■          「愛とは尻ぬぐい」

三浦綾子著の「天の梯子」の末尾に一人の人物の忍耐と愛がいかに
後代に大きな祝福をもたらしたかが記されている。

長尾巻(まき)という牧師は仏教の盛んな金沢の地に開拓伝道を始められた。
信者がいないのだから献金はない。だがこの長尾牧師は実に五年間というもの、人一人来ないところで
毎日曜日、礼拝説教をしたのだった。聞いていたのは夫人とその膝に抱かれた幼子だけであったとか。
そのような中でも彼は絶望しなかった。それは彼らが神を信じ、心を合わせたからに違いない。
それはどんなに忍耐を要することであったろう。しかも、貧しさは現実のことであった。一方、
彼らは貧しい者へのあたたかい愛に燃えていた。長尾牧師がこの地を去る時、乞食が駅の改札口に押しかけ、
ひと目でもいいから先生を送らせてくれと哀願したと言う。この貧しい牧師家庭に、更に貧しい
神学生がころがりこんだ。しかも肺結核を病んでいた。時をきらわず喀血するこの神学生を、長尾牧師夫妻は
家族の一員のように世話をし、実に尽くせる限りの愛を尽くしたのだった。この神学生こそ、後に「世界の賀川」
と言われた賀川豊彦牧師である。賀川牧師は、神戸の新川という貧民街に飛び込んで、愛の伝道者として、
その名を世界に馳せた。「愛とは尻ぬぐいをすることである」と賀川牧師はよく言われたそうだが、
それは恐らく、長尾牧師夫妻の愛の中に発見した言葉にちがいない。賀川牧師は特に中国、朝鮮、
東南アジア諸国のために、毎日熱い愛の思いをもって祈ったという。第二次大戦で日本は中国に兵をだした。
各地でそれは残虐を極めた、時の中国の総統蒋介石はこう言ったという、「日本はひどい。残虐だ。
だが今日も賀川先生が熱涙をもってこの中国のために祈っていることを思うと、日本を憎み切る
ことはできない」と。そして一九四五年八月十五日、日本人解放の布告を出し、「日本人に危害を加え、
その物資をかすめる者は極刑に処す」とまで命じたのだった。これによって日本人は無事帰国できたのだった。

 イザヤ五二章に、「主はあなたがたの前に行き、イスラエルの神はあなたがたのしんがりとなられるからだ」
とある。しんがりとは前に進む兵を守りながら歩く最後の部隊のことだ。大勢の残してゆくゴミを拾い集める
仕事が尻ぬぐいなのだ。主イエスは十字架上で私たち人類の罪という汚物を尻ぬぐいして下さった。
その愛を実践することが私たち信じる者の仕事である。