「夫の愛」

 今月のハーベスト・タイムに載った「夫の愛に支えられて」というタイトルの記事だ。
夫婦というのはこんなに愛し合えるものなのだ。その鑑である。

 スーザンが視力を失ってからおよそ一年が経とうとしていた。失明した当初、スーザンは
自らの人生が終わったように感じていた。夫のマークは自分に出来ることはなんでもしようと決心し、
少しずつ彼女を絶望の淵から引き上げていった。夫の助けを借りながら、やがて家の中だけは自力で
動き回れるようになった。数ヵ月後、スーザンは元の職場に復帰したいと思うようになった。
そのために彼は毎日車で彼女を職場まで送り、それから彼の職場である軍の基地に向かった。
彼は将校だったのだ。終業時間になると、スーザンを迎えに職場まで行くのだった。
しかし、これはマークにとっては余りにも大きな負担であった。妻を送るために、時間までに
彼の職場に着くことが物理的に困難になっていたからだ。そこで彼女にバスで通勤して欲しいと
告げざるを得なかった。彼女は見捨てられたような気持ちになったのだが、
それしか選択の余地がなかった。それから数週間にわたってスーザンに付き添って、ついに彼女は
自力でバス通勤できるようになった。

 それから数日してスーザンがバスに乗り、運賃を払おうとすると、運転手が声をかけてきた。
「奥さん、あなたは本当に幸せな方ですね」。スーザンは何のことか分からなかった。
「何のことだか私には分かりません」。「つまりですね。あなたが降りる停留所に着いてドアを開けると、
毎朝あの男の方は道の角に立っているのが見えるのです。あの人はあなたがバスを降りる時も、
あなたのことを見ていますよ。制服を着ているので、恐らく軍関係の仕事をしている人だと思います。
あなたが駐車場に向かって歩いて行く時も、あなたが階段を上って行く時も、あなたがドアを開ける時も、
彼はあなたを見守っています。そして戸が閉まると、彼はまるで衛兵のように
直立不動であなたに向かって敬礼をし、それから投げキッスをしてその場を去るのです」。
それを聞いてスーザンはその場で号泣し始めた。夫のマークが自分をそのように見守って
くれているのを知らなかったのである。

 聖書に、「主は天から目を注ぎ、人の子らを残らずご覧になる」(詩篇三三章)
とあるが、神の目は伴侶に対するように、愛するあなたにも絶えず注がれている。
私たちが迷うことなく、神に喜ばれる正しい道を歩むために。