「忘れ物」

 一月最後のサンデーはオレンジ郡教会の清掃日であった。特に南側にあるビワの木が
大きくなりすぎて壁を壊す危険があったので、それらを伐採するのが今回の主な仕事であった。
久しぶりに出席した青年聖書研究会での学びが終わって外に出ると、すでに男性軍が庭仕事に奮闘中であった。

 私はアーバインでの礼拝のご用があるので、一時半頃には教会を出ないといけない。
時計を見ながらギリギリまで作業をするのだが、もう出かけなければいけない時間になったので、
家内の節子をせき立てて、「後、五分で出るよ」と言いながら、トイレに入って鏡をみると、
何と汗とほこりで頭がボサボサではないか。「これで講壇に立てるのか」と一瞬思ったのだが、
家に帰ってシャワーを取る時間もない。ままよとばかり車に飛び乗る。昼食はいつものようにおにぎり
なので、ドライブしながら食べることになる。「ああ、やっとこれで一安心」と思ってしばらくドライブを
していた時のことだった。

 ふと、車に愛用のカバンを積んでいなかったことに気が付いたのである。それにはアーバインでの礼拝の
説教ノート、聖書、聖歌などの牧師の七つ道具が入っている。もちろん、そこには週報も入っているのだ。
そして聖書日課、そして添削した日課も入っていた。ドライブしながら、「節子、後ろにカバンはないか」と
万が一の可能性を信じて尋ねてみると、「後ろのシートがこんもりしているから、その下にあるんじゃない」
とは言ってはくれる。バックミラー越しにその辺りを見たのだが、それは着替えのスーツだった。

 アーバインでの説教はオレンジ郡教会でのものと同じ内容だから、憶えてはいるが、肝心なのは週報と
聖書日課のテキストだ。そこで引き返そうと思ったのだが、すでに五五番のフリーウェイを超えている。
今戻ったのでは、二時半からの礼拝には間に合いそうもない。そこで、そのままアーバインに行くことにした。
週報なしで礼拝をするのは僕の二六年間の牧会生活では初めてのことである。
アーバインではとにかく平身低頭であった。

 聖書に、「弟子たちは・・パンを持って来るのを忘れていた」(マタイ十六章)とある。
四千人のパンの給食の奇跡の直後でのマタイの言葉である。主イエスに日々仕えていた弟子たちでさえ
忘れたことがあったようだ。でも、こんなことで自分を慰めていけない! 
次に何を忘れるか。それがこわいが、ただ主の憐れみを請うばかりである。