「おやじ」

 今月十四日の日曜日の夜、ガーデナ市にある中華レストランで中野雄一郎先生の伝道十周年記念感謝の
晩餐会が開かれた。そこはパシフィック・スクエアーの一角にあるのだが、日曜の夜ということもあって
多くの食客で賑わっていた。七十名近い方々が遠近から集い、実に楽しい感謝会であった。

 中野先生との出会いは、かれこれ三十年以上にもなる。僕がサンタクララ教会に居た時、先生は
サンロレンゾで牧会をなさっておられた。それで特別集会とか、新年聖会とかで北加の諸教会が一同に
会するときなどに中野先生に良くお会いしたものである。その頃の僕はまだサンノゼで学生であった。
でも、どこの神学校に行こうかと準備していた献身の時でもあったから、中野先生の大音声(おんじょう)の
祈りと燃えるような働きがまぶしかった頃でもあった。僕が東京聖書学院在学中も、たびたびそこを訪れては
励ましてくれた。その頃の僕は北米に帰ろうか、それとも日本に残ろうかと迷っていた時でもあったので、
中野先生の励ましがとても大きかったのである。

爾来、牧師リトリート、修養会、そして折りあるごとに共に祈って下さり、励まして下さったのである。
中野先生の賜物は、人を励ますことにある。そして伝道に遣わされる先々で、絵はがきを送って下さり、
あるいは電話をして下さるのである。もちろん、先生は僕だけではない、接する限りの牧師や伝道者、
そして心に懸かる信徒の方々にそのような励ましをなさって来られた訳で、彼の器の大きさがそれでも
分かるではないか。

僕は中野先生を「おやじ」と呼んでいる。先生は迷惑に思ってはいるだろうが、自分で勝手にそう
言わせていただいている。それというのも、日本ホーリネス教団の創立者であった中田重治が、
そう言われていたからだが、中田先生は、巡回伝道で地方の教会で困窮している伝道者を訪問するたびに、
具体的に助けの手を差し伸べて来られた器であった。オーバーコートを着て伝道に行った先で、
今まで着ていたコートをその伝道者に着せて帰ってくるような人物であった。特に新会堂建築中、
中野先生はこのオレンジ郡教会訪問の度ごとに、どれだけご自分のコートを脱いで下さったことか。
「水を汲みし、僕は知れり」(ヨハネ二章)である。今、このように僕が牧会者として勤まっているのも、
「おやじ」の絶えざる励ましがあったからである。そんな「おやじ」のこれからの伝道生涯の上に、
天来の祝福を切に切に祈る者である。