「小雪乱舞するシカゴで」

 この十五日のマルチン・ルーサー・キング・ジュニアのホリディに葛原郁江姉の告別式が
しんしんと小雪の降るシカゴで執り行われた。会場のレーキサイド教会では多くの参列者が
生前の姉妹の遺徳を偲ぶ恵みの集会となった。姉妹は百二才で召されたお父さん定市師の
生活一切のお世話を長い間して来られ、そのために生涯独身で通って来られた方である。
享年九一才であった。

 十四日の夜、ガーデナ市で行われた中野雄一郎先生の伝道十周年感謝会を終えて溝口俊治牧師、
中野雄一郎師と三人でLAXに向かう。シカゴのオヘア空港に降り立ったのは十五日の早朝五時半であった。
雪は積もるほどの降りではなかったので一安心はしたが、慣れない地での雪中でのドライブは
不安の方が大きかった。津軽では「冬を三年越さないと、一人前のドライバーではない」という格言がある。
それを思いお越しながら、ビュンビュン飛ばしながら追い越して行く車列に翻弄されながらのドライブとなった。

 北米ホーリネス教団の草創期の四半世紀もの間、葛原定市師は教団の土台を築いて来られたが、
その次女としてシカゴ・レーキサイド教会を陰で支え、建ち上げて来られた器が郁江姉であった。
そしてつい昨年末まで聖書研究会をリードしておられたのである。それほど元気だったのであるが、
それが突然七日の早朝召されたのだった。日夜、酸素吸入器を必要とする姉妹にとっては、
今年の厳しいシカゴの冬は限界だったのであろう。

三年程前に完成した葛原ライブラリー設立のために葛原ファミリーには大変お世話になったこともあり、
以前から葛原郁江姉と、ご長女で九三才になられる浜井ミカ姉には、特に感謝の意を表したいと考えて
いたのだが、それが新年の明けやらぬ間に持たれようとは、思いも寄らぬことであった。

また一人、教団創立に関わる人物が天に凱旋されて行った。当時のことを語れる人物はもう皆無と言って良い。
だが人の様相はそのように変っても、変らないものがある。「天地は滅びるであろう、しかしわたしの言葉は
滅びることがない」(マタイ二四章)という主イエスの言葉である。

帰りの空港に向かう車中でも小雪が乱舞していたが、地上から去って行った郁江姉の魂も、そのように
天に舞い上って行ったに違いない。摂氏マイナス二度と示す通りの赤い電光掲示板の灯りに、雪の白さが
いっそう映えて見えていた。赤の衣服が似合っていた彼女をほうふつとさせるシーンであった。